毎土市場
霞本通の中心、霞パーキングでは、毎週土曜日の朝「毎土市場」を開催!!季節の野菜やお花はもちろん、お惣菜、巻き寿司、ちりめん、ちくわなど、たくさん美味しいものが揃っています。おしゃべりしながら楽しいお買い物をしませんか?店主が笑顔でお待ちしています。
霞本通の中心、霞パーキングでは、毎週土曜日の朝「毎土市場」を開催!!季節の野菜やお花はもちろん、お惣菜、巻き寿司、ちりめん、ちくわなど、たくさん美味しいものが揃っています。おしゃべりしながら楽しいお買い物をしませんか?店主が笑顔でお待ちしています。
お店の取扱品をイルミネーションに!! 手づくりから始まったこのイルミネーション2013年にリニューアルしています。 他とは違う手づくりの温かさが その他のイルミネーションの灯とともに 霞本通をライトアップしています。
霞本通では「貸し傘プロジェクト」を行っています。ロゴ付きの専用傘立てから、自由に借りられます。返却も傘立てに返すだけ。雨が降っても安心です!!
霞町の歴史は古く、誕生したのは明治のはじめである。
戦前(大正〜昭和)までは現在の
霞一丁目は「東霞町」
霞二丁目は「中霞町」
霞三丁目、霞四丁目が「西霞町」と呼ばれていた。
※明治時代頃はその他何町かまとめて西町としていた。
福山の町や通りは元々は城下町の構造をもち 曲がり角や袋小路を多く持った通りが普通であったが 霞町だけは東西に長い一本道だったため 西霞町から現在の住吉町(約1.2㎞)まで一直線の見通しがききました。
この長い通りが日によっては霞んで見えたことから 『霞町』という名が生まれたといわれています。 廃藩後に武士が商業に転じたり あるいは武士が他へ移った後を買い取る形で商人が移り住み 現在の霞商店街の原型が作られるが タンス、布団、米穀、呉服など 今も続いている老舗は多い。
鞆や赤坂、尾道から出てくる人は、みな霞町を通った。 霞町筋を古くは鞆街道と呼んだのはそのためであろう。 大正2年には鞆軽便鉄道が鞆ー野上駅間に開通したが 当時の野上駅は霞町の西の端に位置していた。
この駅が霞町の商業立地上の優位性を高め 霞町の商業は多いに賑わうことになったようだ。
【明治初期】商店街の形態となる
【1913年(大正2年)】鞆軽便鉄道の開通 野上駅(霞町の西端)
【1952年(昭和27年)】霞本通会として福山市商店会連合会に参加
【1977年(昭和52年)】霞本通商店会から霞三丁目商栄会に名称を変更
【1981年(昭和56年)】福山霞三丁目商店街振興組合に改組
【1982年(昭和57年)】福山市商店街振興組合連合会の設立に参加
【1999年(平成11年)】 第1回霞本通とうろうまつり開催
【2000年(平成12年)】福山霞三丁目商店街活性化計画を策定
【2001年(平成13年)】全国でも珍しい「石とうろう型街路灯」設置 12月1日完成記念式典実施
【2003年(平成15年)】広島県灯り景観87選に選ばれる
【2008年(平成20年)】道路美装化(石畳風)事業完成 4月12日完成記念式年実施
【2010年(平成22年)】「アンブレラ大作戦(傘の無料貸出)」開始
【 5月 】
「霞へきてみん祭」福山ばら祭
「霞小学生の街並美術祭」
【 8月 】
「霞本通とうろうまつり」福山夏まつり
【 10月 】
毎土市場周年行事「秋の味覚の収穫祭」
【 11月 】
「老人大学生の街並美術展」
【 11月~1月 】
「イルミネーション」
【 年間 】
「貸し傘プロジェクト」
【 毎週土曜日 】
「毎土市場」午前8時~11時頃
霞パーキング内にて
出店者:仕出し将、克國水産、favori、彩農園